正月とは思えないほどの晴天猛暑、夏のような一日でした。
今日は貸切で石垣島に残る戦跡を巡りながら自然観察をしてきました。
太平洋戦争中、石垣島では陸上戦はありませんでしたが、島内各所に戦跡が刻まれています。
しかし保存されている場所はほとんどありません。
大浜壕の跡。
弾薬庫として使用されていたようです。
不法投棄が凄かった壕ですが、内外ともに綺麗に片付けてありました。
戦争に関する壕の説明プレートくらいあっても良さそうなのですが。
宮良に残る第38震洋特別攻撃隊旅井部隊の特攻艇格納壕の跡。
壕内は崩れていました。
石垣市がフェンスと注意喚起の看板が設置していありました。
何故、過去の真実を記載した看板を設置しないのか?
震洋特別攻撃隊特攻艇桟橋跡。
近くには第23震洋特別攻撃隊幕田部隊の特攻艇格納壕の跡もありますが、
私有地内なので見ることは出来ません。
白保・与那原の壕跡。
弾薬庫だったそうです。
通りかかった白保のオジーが戦争中の話を丁寧に教えてくださりました。
数箇所の壕が残されています。
白保集落によって数箇所の壕は管理されているようです。
平喜名飛行場側にあった観音寺部隊の壕。
身分の高い方々が利用していたそうで、島内で一番立派な作りの壕です。
奥行きもある複雑な作りになっています。
壕内には電線を這わせたあとや、発電機を設置したような跡もあります。
70年以上前も経過していますが、まだしっかりとした作りです。
壕内外、以前よりかなり綺麗に片付けてありました。
移動して軽くトレッキング。
屋良部岳山頂付近に残された機関台跡。
今は穏やかで美しい景色が広がっています。
当時、どんな風景でどんな気持ちで、兵士の方々はこの場所に居たのでしょうか・・。
電信屋跡。
銃跡が沢山残っています。
川平湾西側に残された第19震洋特別攻撃隊大河原部隊の特攻艇格納壕の跡。
5箇所を確認。
1箇所目、激しく崩れていました。
壕奥が崩れているため、石垣市がフェンスを設置。
3箇所目、唯一崩れていない大きめの壕。
4箇所目、大きな壕ですが奥が崩れていました。
石垣市設置の看板。
「特殊地下壕」???なぜ真実を記載、説明しないのでしょうか?
判り難い場所にある5箇所目の壕。
川平周辺の海。
とても綺麗でした!!
正月とは思えないほどの暑い一日。
穏やかで平和な風景。
戦跡巡り、平和な時代だからこそ、過去を見つめなおすことは大切だと思います。
戦争を知らない世代ですが、残された戦跡をみつめ、何かを考え想う事は大切だと思います。
良い機会を有難うございました!!
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